top of page

 

 

 

今回は都内の大学病院に勤務し、手話通訳も兼務している看護師の方にお話を伺いました。

2部構成となっています。

1部ではろうの方の視点、考え方について伺いました。

 

【プロフィール】

​お名前)Aさん

・普段は都内の大学病院で勤務

・2年間専門学校で学んだ後に手話通訳士の資格を取得

​​

―私たちの取材依頼をどのように思いましたか。

 

 まず、Team Medicsの活動概要に共感しました。それは、医療従事者として、様々なバックグラウンドを持つ患者さんと接する際に患者さんの持つ価値観や文化を尊重し、思考や行動ができるようになるという部分です。学生の時に、多様な価値観に触れておけば、いざ現場、社会にでて多様な人と接する時にすぐ柔軟に考えることができたな、と感じる場面が多々あるので学生のうちにこのような活動をされていることは素晴らしいことだな、大切だなと感じ、ぜひ今回お話しできたらなと思いました。

 

 

―手話を学ぶきっかけはなんですか。

 

 最初は、普通に看護師として働いていました。その当時から、耳が聞こえない人はいましたが、筆談しかないよね、口の動きを見て読み取るしかないよね、というふうにできる範囲で歩み寄ればいいと思っていました。その後、小児科のクリニックで働いている時に、耳が聞こえないお母さんとお子さんが来ました。お子さんは、病状のことについて話せないので、お母さんから病状について詳しく聞くことになりました。今回も、筆談でコミュニケーションとるしかないと、戸惑うことなくコミュニケーションを取ろうとしました。しかし、実際コミュニケーション取ってみると質問の意図と帰ってくる言葉になんかズレを感じ、うまく言葉のキャッチボールができていない感じがしました。その場は、ひっかかりながらもコミュニケーションをとりましたが、どうして伝わらない感じがしたんだろうと、もやもやしていました。その後、色々調べていく中で手話と日本語は全く違う言語であること、そしてそのために手話を第一言語とされている方には日本語は伝わりにくいことがあることを知りました。耳の聞こえない人に筆談でコミュニケーションを取るということは、外国語で診察、質問されているのと同じ感覚なのかなと思い、そこで病院こそ自分が一番楽な言語で話したいよなと思ったのがきっかけです。

 

 

―手話を学ぶ前と後では何かご自身に変化はございましたか。

 

 知らないことに対して、考えが及ばないことは仕方ないかもしれませんが、ろう者や手話の存在を知って、それまで知らなかった自分に対する情けなさや悔しさを感じました。 自分の尺度で考えず、知らないことはまだまだたくさんあるかもしれないというスタンスで物事を考えるようになりました。

 

 

―ろうの方とのコミュニケーションの取り方の多様性についてどのようにお考えですか?

 

 ここでは、日本手話と日本対応手話を紹介します。

 日本手話は基本的に、生まれつき耳が聞こえない方が使われることが多い手話で、日本語と全く違い、独自の文法から成り立っています。手だけではなく頭を動かしたり、瞬きをしたり、首を動かしたり、顔の一つ一つの振る舞いが文法になっています。それゆえ、よく「耳の聞こえない方は表情が豊かだよね」と言われていますが、豊かというよりも文法なので、「豊か」という言い方に違和感を持つ人もいます。

 日本語対応手話は日本語の文法通りに手話単語を当てはめて表現しています。こちらは後天的に耳が聞こえなくなった方が主に使います。日本​語対応手話ができる方は、日本語の文法を理解しているため、筆談もできる方が多いです。耳が聞こえない方とコミュニケーションを取る上で大切なことは、一人一人に合ったコミュニケーション方法で対応することです。その人の生い立ちや、いつ耳が聞こえなくなったか、時代的背景(50代、60代の方で生まれつき耳が聞こえなくても、手話を使うことを禁止されていた時代があった)など様々なことを加味して、その方にとって一番話しやすいように対応しています。

 

 

―ろう者の視点または思考とはどのようであるとお考えですか?またろう者の特性はどのようであるとお考えですか?

  

 日本語を喋る上での日本の文化ってありますよね。文化って言語と双方向の影響があると思います。例えば”日本人はそんな言い方をしない”とか。やっぱりそれは文化なので変えることが出来ないですし、その人自身や育ってきた文化のことなので否定するも肯定するもありません。ろう者も同じで、日本手話を話す人、使う人にはろう者の文化があります。当然ですよね。ろう者の文化は英語圏に近いように思います。日本は奥ゆかしい、察する文化と言われていてなんでもかんでも言うということはかえってスマートでないと感じますよね。例えば「熱くない?」「寒くない?」と言ったとして、その裏には”クーラー付けて欲しいな”、”冷たい飲み物欲しいな”という意味がこめられています。このようにはっきりと言わないと、はっきりと言う文化の場合は”だから何?”みたいに感じてしまうと思います。ろう者もそのような感じで結構はっきり言います。その理由として色んな研究があるんですけど、聞こえる人だったら顔が見えなくても色々会話が出来るけど離れてしまうとろう者は会話ができないので全部その場で解決するということが根底にあってしっかり言語化していくという文化​があるからです。聞こえる人のはっきり言わない感じ、察してという部分はろう者にとっては疑問に感じる部分もあるそうです。ただ長年聞こえる人の世界で生きているので、"聞こえる人っていうのはこんな感じなのか"と考えているそうです。それは私たちが外国の人を見て"結構はっきり言うな"っていうのを文化として受け入れているのと同様で聞こえない人たちも私たちのことを受け入れているんですね。だけど私たちは聞こえない人に対して"同じ日本人なのにすごいズケズケ言ってくる”という印象を持つんですよ。分からない事があっても日本人ってあとで個人的に質問に行ったりすることがありませんか。でも診察の場合、聞こえない人はたくさん質問されるので診察が終わりません。逆に聞こえない人からすると”質問ありますかって聞いたのに何故そんなに嫌がるの?”と感じます。でも医師は診察の締め言葉として”質問ありますか”と訊く節があると思います。医師は患者から「特にありません」という返事が来ると想定して、じゃあこれで終わりですねと終了したつもりなのに質問が返って来てしまいます。一つの文化なんですけど、“グイグイくる”とか“理解力が悪いのかな”という風に取られてしまう事もあります。

 また、聞こえないからこそ音による合図が出来ないので例えば呼ぶ時には肩をたたきます。聞こえる人にとっては突然肩たたかれると抵抗がありますよね。でも聞こえない人には当然のことなので、私も待合室にろう者を呼びに行くときはトントンって普通にします。また、自分では聞こえない足音とかドアを閉じる音、コンビニの袋を触る音が思いのほかうるさいことが認識できておらず、他の患者さんからクレームが来たりします。聞こえない人もなるべく静かにしなきゃとは思っているとは思うんですけど自分でその音を振り返る事が出来ないから、聞こえる人はうるさいとか、怒っているみたいに思ってしまいます。それは、日常の音に対することに意識を向けるということを普段していないからです。例えば歯磨きをしていると歯磨きの音がすることにびっくりしたりしています。音が聞こえない人には音の無い世界で生きているので、注意を払うのが難しいですが、やっぱり聞こえる人にとってはうるさいし、怒っているみたいで怖く感じます。それは文化の違いですが、聞こえる私たちは自分と違う文化であると受け入れられてないんですね。多分外国人が入院してきてベッドに靴のまま寝たりしたらダメダメって思っても、でもそれが普通だもんねってなると思います。しかし同じ日本に住んで​いて、日本人で違うことをされると“何この人​、常識がない”と誤解してしまいます。文化の違いはたくさんあって、この人もそうかもしれないと考えないと軋轢が生まれてしまいます。聞こえない人の見方とか文化を分かった上で接さないといけないし、もちろん私は両者の立場を理解できるのでお部屋の中のトラブル、他の患者さんとのトラブルが発生しそうな時はクッション役になったりしています。医療者も同じようにろう者に対して思うわけです。あの人質問ばかりしてきて全然診察が終わらないと思い、ろう者の診察は面倒だとなってしまいます。そうではなくて”あれは聞こえない人の文化なんですよ”って説明することで常識が無い人ではないと分かってもらえる事もあります。こういった誤解を修正することが大切だと思います。そうでないとろう者自体が面倒な人、患者さんって思われたりします。もし一度そういう感情を持ってしまうとまた違うろう者が来た時にろう者ってこういう所あるよねって冷たい扱いを受けてしまうこともあるので、そういう事がないように軌道修正してあげることはありますね。

 病院では例えば言語的な感じだと「8時10分前に来てね」って言ったら7時50分ですよね。しかし、ろう者に言ったら結構な確率で8時8分とかって思うんです。だから時間の説明の時にはちゃんと何時何分とちゃんと言わないとずれてしまいます。これは言葉の日本語と手話の違い、ろう者との文化の違いだと思います。色々知っていくと同じ日本人でもこんなに大きな差があるのかとびっくりします。言語の違いは文化の違いなので当然の事ですが気付けないのです。なかなか修正することは難しく、一旦そういう風になってしまうと自分の価値観の中で対応してしまうというところがあります。なのでどうしても面倒な人、手のかかる人、時間のかかる人、理解力が無い人つまり認知能力が下がっているのか知的障害があるかなと受け取られることもあります。皆さんには聞こえない人の社会背景を分かってもらって、もし“あれおかしいな”と思ったら一歩引いて“なぜそのように捉えたのだろう、思ったのだろう”と考えて欲しいです。今日も通訳があったんですけど、やっぱり私が診察の時に通訳に入って「この方は耳が聞こえなくて手話通訳が必要だから入りますね」と言っても、「なんで?この人日本人でしょ、筆談じゃだめなの」って言う風に返ってくるんですね。「文法が違うので筆談だと正確に理解出来ない人がいるんですよ」って言うと先生たちは分かってくれますが、最初から分かっている先生は少ないです。専門とする先生でもそういうことはあります。

 

 

―医療機関に手話通訳士がいることの重要性はどのような点であるとお考えですか。

 

 手話通訳士はあくまでも資格であり、手話通訳は資格がなくても行うことは出来ます。 医療機関に手話通訳ができるスタッフがいることは、聞こえる人と等価の情報を保障してインフォームドコンセントを得ることで、安心安全な医療の提供をするために重要だと思います。 さらに、手話通訳ができる医療者であること、その医療施設の職員であることにより、的確な訳出と多職種とのスムーズな連携が出来ると思っています。

次回も引き続きAさんのインタビューです。次回はろうの方との接し方についてお話を伺いました。お楽しみ下さい。

​ろうの方の視点

bottom of page